核をめぐる科学文化

マーシャル諸島、水爆ブラボーの記憶

61年前の今日、アメリカは信託統治領であったマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行いました。

この爆弾の規模は広島原爆の1000倍のもので、マーシャル諸島の4つの環礁が被害を受けことが後にアメリカに認定され、認定されていない環礁のひとびとも、さまざまな健康影響を受けてきました。日本の漁船第五福竜丸をはじめとする多くの漁船も放射能を含んだ「死の灰」を浴びて被災しました。

私は昨年、マーシャル諸島の首都マジュロで行なわれた、60周年の追悼集会に参加しました。

日本からは、第五福竜丸乗組員であった大石又七さんをはじめ、原水禁関係者、マスコミ関係者、学生、研究者など、20名以上が訪れました。昨年の3月1日に撮影した写真の一部を紹介します。

当日は、朝からメモリアルウィークとマーシャル諸島政府主催の式典がありました。式典会場まで、皆で行進します。

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ロンゲラップ環礁の人々。リジョン・エクニランさんの写真を掲げています。

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キノコ雲がキノコとして描かれています。

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マーシャル諸島の各環礁やグループごとに旗を掲げ、歩きます。

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行進出発前の列に並ぶ人々。行進は開始予定時間を1時間すぎてはじまり、それにあわせて式典の時間も遅れてはじまりました。

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政府主催の式典の様子。式典では各環礁の代表者や政府関係者によるスピーチがあり、大石さんもスピーチをされました。

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式典の後、午後には広場に集まりました。広場では、60周年を記念したイベントとして、1週間ほど各環礁の人々の歌や踊りのステージが催されており、この日はロンゲラップ環礁の人々の歌と踊りが披露されました。

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それぞれの歌には、核被害を生き抜いてきた人々の思いが込められています。

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水爆実験の被害を伝えるパネルも設置されていました。

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ロンゲラップの人々のステージが終わり、広場では、いくつものグループが踊ります。これはオールを漕いでいるようです。マーシャルの人々の踊りは、生命力に溢れたエネルギッシュなものでした。

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夜には、松明を持った若者が、核実験の被害を刻み、追悼する催しも行なわれました。

マーシャルでは歌や踊りといった文化のなかで、核実験の歴史の継承がなされていました。

後日、動画もアップしたいと思います。

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投稿日: 2015年3月1日 投稿者:

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